シンドラーのリストに登場する工場を見学<後編>

シンドラーのリスト ポーランド
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前編はこちら↓

シンドラーのリストに登場する工場を見学<前編>
ひとりのチャラ男が1100人もの命を救った事で有名なオスカーシンドラー。映画化されたシンドラーのリストでおなじみの工場は、現在はナチスドイツに占領されたクラクフについての博物館になっています。

シンドラーの工場へのアクセス方法はこちら↓

「シンドラーのリスト」の工場への行き方と予約方法【クラクフ】
映画「シンドラーのリスト」で有名なシンドラーの工場は現在博物館になっているので、行き方や予約方法を解説します!アウシュビッツと違ってクラクフ市内にあるので、映画を見た方はぜひ訪れてみてください。

クラクフゲットー

シンドラーの工場 クラクフゲットー

クラクフゲットーの壁

さて、話はクラクフの歴史へ戻ります。

もともとクラクフには、中央広場の南、ヴィスワ川沿いにあるカジミエシュという地区に多くのユダヤ人が住んでいました。
ところが、ナチスはカジミエシュの対岸に
ゲットーと呼ばれる壁で囲まれたユダヤ人居住区域をつくり、そこへカジミエシュや周辺に住んでいたユダヤ人を強制的に移住させました。

住人がいなくなりがらんとしたカジミエシュ地区は、そのまま建物の荒廃がすすみ、その後ゴーストタウンのようになってしまいます。
しかし
現代のカジミエシュでは、日本でいうところの古民家カフェのようなノリで若者が古い建物を使ってカフェやバーをひらくのが人気になっています。

シンドラーの工場 クラクフゲットー

クラクフゲットー区域

クラクフゲットーは4つのゲートからしか出入りできず、ユダヤ人の壁の中の生活が始まります。この壁は現在も一部残されていて、歴史を学ぶ観光スポットとなっています。

現在のマップと比べてみるとゲットーの区域がわかりますね。ピンを指しているところはゲート2とゲート3の間にある壁が残っているところです。

また、駅を挟んだすぐ向こうにはシンドラーの工場もありますから、工場がゲットーからとても近かった事もわかります。

ゲットーでの暮らし

クラクフ ゲットー

窮屈な生活

ゲットーの狭い地域に押し込められたユダヤ人の人々は、ひとつの家に数家族で住み、プライバシーの保たれない生活を強いられました。寝室は足りず、床で寝るしかない人もいました。

クラクフゲットー

貧困や病気が蔓延

ゲットーから自由に出入りする事は許されず、配給される食事も満足ではありません。栄養失調で衰弱していく人や、病気にかかって亡くなる人もいて、さながら強制収容所と同じような暮らしぶりでした。

クラクフゲットー

ユダヤ教の司祭(ラビ)

それでも、アウシュビッツプワシュフ強制収容所に比べれば幾分かマシです。囚人服を着なくて良いし、点呼もありません。
住人達は耐えるしかない生活の中でも、家族が一緒に過ごせるというささやかな幸せを支えに生きていました。

シンドラーの工場

シンドラーの工場

事務デスク

当時のものかはわかりませんが、とても古い事務用のデスクがありました。たった今まで誰かが仕事をしていたかのような雰囲気です。古い電話、ライト、帽子、タイプライター。どれも一昔前のもの。

映画の中ではシンドラーが秘書を雇う為に、女性にタイプライターを打たせるシーンが登場します。もしかしたら秘書が使っていたものかもしれませんね。

タイプライター

タイプライター

すっごい年代物ですよね。今私たちが使っているパソコンのキーボードとYとZの位置が逆ですが、ほぼ同じ!
これをキーボードの左上から並ぶ文字をとって、QWERTY(クワーティー)配列というそうです。

このタイプライターはYじゃなくてZなのでQWERTZ(クワーツ)?お菓子のリッツ(Ritz)みたいに。

(せめてホテルのリッツカールトンを出せよって感じですよね。)

シンドラーの執務机

シンドラーの執務机

こちらはシンドラーの執務机。シンドラーのリストにも出てきます。デスクランプなんてそっくり。
写真たてに飾ってあるのは馬に乗る笑顔のシンドラーです。

シンドラーのリスト

シンドラーの工場

ホウロウ製品

シンドラーの執務机の向かいには、工場の主力商品が詰め込まれたケースがあります。

シンドラーの工場

鍋やお皿

シンドラーの工場で働いている間は命を守れたユダヤの人々。もとは素人が多かったはずですから、一生懸命仕事を覚えてつくったのでしょう。命がかかっていますからね。

シンドラーのリスト

シンドラーのリスト

ケースの中に入るとびっしりと名前が並んでいます。シンドラーに命を救われた1200人もの人々の名前です。

ゲットー解体、強制収容所へ

シンドラーの工場

ゲットー解体

1943年の3月。
ゲットーの住民たちはゲットーの英雄広場(工場の最寄りのトラム停留所のそばにある広場)に集められ、全員すぐ南にあるプワシュフ強制収容所や、60キロ西にあるアウシュビッツへ移送されました。
抵抗した人はすぐさま射殺され、隠れた人もナチスが家じゅうひっくり返して捜索するので、大勢が見つかり犠牲になりました。

ナチスの制服

ナチスの制服

縦画像で見づらてすみません。本物のナチス親衛隊の制服です。

プワシュフ強制収容所は、アーモン・ゲートが所長を務めていました。
ゲートはシンドラーと親交が深く気の知れた飲み仲間でしたが、収容所ではサディストで恐れられていました。

映画では、ゲートが収容所の丘の上にある自宅のバルコニーから、収容者を無作為に狙い撃ちします。もっとも、実際のゲートの家は少し離れた場所にあったのでそれは不可能だったのですが、大勢をむやみに殺害したのは事実です。

プワシュフ強制収容所

収容所の暮らし

一方、工場の従業員をプワシュフ強制収容所へ送られてしまった社長のシンドラーはゲートに交渉し、工場内に小屋を用意するからそこで従業員が生活できるように、また親衛隊は工場へ立ち入らないようにという約束を取り付けます。

プワシュフ収容所からシンドラーの工場に呼び寄せられた人々は、シンドラーが闇市などから調達してきた食料を与えられ安心していました。

しかし、1944年の夏にはドイツの戦況が悪くなり、ポーランド各地で撤退作戦が始まります。ソ連軍が迫ってきているのです。
そこでプワシュフ収容所の収容者はアウシュビッツへ送られる事になりました。それはシンドラーの工場で働く人々も例外ではありません。

映画ではそれまでシンドラーを支えてきたユダヤ人会計士のシュターン

「収容所が終われば私の命も終わりです。・・・あなたは高いポーランド人を雇わないと。」

と涙ぐんで話すシーンで、シンドラーはある決心をしたように見えます。

シンドラーによる決死の救出

シンドラーのリスト

茶色く光る銃

プワシュフ収容所の解体を見据えたシンドラーはクラクフの工場を閉鎖し、それまでに得た資金を使ってチェコのブリュンリッツで新たな兵器製造工場を立ち上げます。そこでドイツ軍の為の砲弾などをつくるためです。

というのは名目で、軍の為の工場なんだから従業員を連れていかせてくれと、ナチスの司令官にワイロを渡して掛け合い、ユダヤ人を救う事が目的でした。

無事に許可を得たシンドラーが連れていく人の名前を書いたものがシンドラーのリストです

シンドラーに救われたユダヤ人は男女に分かれて貨車へ乗り込み、男性が先に出発し、女性は一週間後に出発しました。

ところが、男性は無事にブリュンリッツへ到着しましたが女性を乗せた列車は誤ってアウシュビッツへ向かってしまいました。

誤送を聞きつけたシンドラーはすぐさま駆けつけ、収容所の管理者と交渉します。
収容所側は、人を特定して再度集めるのは手間だから同じ数の女性を送る、と提案しましたが、シンドラーは

「誰でもいいわけではない。あの中にはかけがえのない兵器の熟練工がいます。私が年月をかけて育てたんです。リストの女性を返してください!」

と一歩も引きませんでした。
収容者一人ずつに対し賃金を支払うから、と説得して無事に女性達は保護され、さらに120名のアウシュビッツ労働者も自身の工場へ呼び寄せる事に成功しました。

オスカーシンドラー

シンドラーと救われた人々

シンドラーが名目としていた工場での兵器製造は、造っているフリしかしていませんでした。品質テストに落ちるものばかりを造り、査察が来た際には他社製品を購入してごまかしました。

従業員は次第にシンドラーの立場を心配をし始めますが、本人は「うちの製品で誰も殺されなくてすむ」とあっけらかんとしていたそうです。

こうしてシンドラーと従業員たちはチェコで終戦を迎え工場は解放されました。
シンドラーはナチス党員で兵器工場を運営していたという立場があるので、その後逃亡生活を余儀なくされます。

従業員との別れの際には、彼らが唯一持っていた財産である金歯を溶かしてつくられた指輪が、シンドラーへの感謝のしるしとして手渡されました。そこにはこう刻まれていたそうです。

“一人の人間を救う者は世界を救う”

シンドラーのリスト

垣間見えるほほえみ

シンドラーはその後、事業では失敗を繰り返しましたが、1962年にユダヤ人を救った事を称えて諸国民の正義の人という称号を授けられました。

ちなみにプワシュフ収容所の所長だったアーモンゲートは、戦後ドイツへ逃げましたが正体がバレ、アウシュビッツの所長ルドルフ・ヘスと一緒にポーランドへ移送されたのち、死刑判決を受けてクラクフで処刑されました。

遺体は焼却されヴィスワ川に流されたそうです。ひぃぃぃよしておくれよ。

感想まとめ

1日でアウシュビッツとシンドラーの工場をまとめて見学したので心身ともに疲労困憊でした・・・。
私としてはどちらも譲れず、滞在時間の都合上泣く泣くそうするしかなかったんですが。

シンドラーの工場は最終入場時間の16時の予約を取りましたが、それでもアウシュビッツの見学を途中で切り上げてクラクフへ戻る形になってしまったので、おすすめしません!

内容の重さでいえば圧倒的にアウシュビッツの方が重いです。シンドラーの工場は博物館、アウシュビッツはもはや大量虐殺の現場です。

でもやっぱり、怖くてもポーランドまで来たなら無視できませんよね。

よければアウシュビッツ見学体験記もぜひ↓

ついに個人で負の遺産「アウシュビッツ強制収容所」へ< Part1>
アウシュビッツで起こったユダヤ人大量虐殺について、そこであった事、感じた事を解説を交えながら綴った記録。実際に見学した順を追って書いているので、行く予定がない人もこれを読めばアウシュビッツが今どんな所になっているのかがわかります。

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